失明した方の接し方




ここでは、失明して、間もない方、又、なかなか外へ出ることの出来ない方への接し方やしてはいけないことを説明します。

今、一番問題になっているのは、外出できない障害者をどうしたら外に出れるようにするかと言うことです。これは、視覚障害者の福祉協会でも課題となっています。とにかく、失明してしまうと、家族の人にイライラをぶつけたり自暴自棄で自分を責めてしまう傾向があります。

最近では、ブルーコメッツの井上大輔さんが、視力の低下を悩んで自殺してしまった記事は新しいところです。自殺する原因はいくつかありますが、障害者になると、今まで出来たことが出来なくなりテレビを見ていても、今まで見えていたものが見えないという現実を嘆いたりします。つまり、障害者になると楽しく生きられなくなると思ってしまうのです。ですから、それは間違いだと言うことを私達障害者は伝えていかなければなりません。

もし、死にたいと言う人がいたら、こう答えてはどうでしょうか? 「貴方が今感じていることは、私には分からないけれども、貴方が、元気になったら、同じように苦しんでいる人に今感じている気持ちを体験として伝えていかなければなりません。貴方が死んでしまったらそれは伝わりません。」と。これは、視覚障害者だけに限りません。自分も若いときは、死にたいと思ったことは有りますが、そのときに、明後日まで生きてみようとそんな風に考えてました。

私達障害者は、楽しく生きられる方法を話していかなければなりません。それと、意外と見落としてしまうのは、家族の方にリフレッシュしてもらうことも体節です。蒲田実さんの、頑張らないという本に、「介護で疲れている家族の方に、自分の好きなように時間を与えてあげることが体節だと感じて、デイケヤと言うシステムを作った」と書いてありました。

私の入っている福祉協会では、沢山の行事を企画しています。それは、私達の楽しみでも有りますが、家に閉じ篭ってしまった失明した方を外に出す目的でもあります。会に入ると、ボランティアが沢山いますし、自分で出来なくても、ボランティアの方が遣ってくれます。家族にとっても、自分の時間が出来ますから、精一杯好きなことをして過ごせます。

それに、同じように失明した方が沢山いますから、どうやって毎日を過ごしているか、又、出来なかったことが、どうしたら出来るようになったかなど得るものは有ると思います。

よく、宗教の勧誘などをしてくる人がいますが、どんな宗教団体に入っても宗教だけで視力が快復するものはありません。宗教は、障害者が楽しく過ごす方法を教えるところではありません。寧ろ、視力が快復しなくても、今ある状況を受け止めてしっかり生きている人を何人も知っています。そんな人を見ていると、「努力されてすごい」と思います。私は、家族や本人が苦しんでいるのを知っていながら、「目が見えるようになる」と言って勧誘し、利益を追求するようなものは嫌いです。

家族の方や知り合いの方には、絶対に言ってはいけない言葉があります。「もう○○年経っているのだからこんなことも出来ないの」と非難してはいけませんし、周りの人も、他人と比べるようなことは言ってはいけません。その人によって立ち直り方は違いますし、年数も違います。もし失明して、外出出来ない方と接するには、話を聞くことです。見えていた頃のことやその人の今までの功績などをしっかり聞いて、評価してあげることです。そして、家族の方ともお話することです。

失明が原因で、自殺することが無いような社会が出来ればと思ってます。




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2003/9/25 玉橋友晴

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